「謎が謎を呼ぶ」というのは陳腐な表現だけれど、停滞し、なかなか進展が見られない捜査の中でしかし少しずつ見つかる小さな糸口に指をこじ入れて真相をほじくり出していくような捜査、その水際立った展開は素晴らしいものがあって、でまたここにある種個人作業のような刑事たちのてんでばらばらに見える動きが、それぞれのキャラクターと相まっておもしろい。
キャラクターの類型化はともすれば退屈で浅はかなドラマ描写につながりがちなのに、この作品ではむしろ安定につながって、遠い異国の、あまり愉快とはいえない状況の刑事たちの奮闘に、何か親近感みたいなものを与えてくれている。ベックは慎重だが決断力に優れていて、友人のコルベリは皮肉屋だけれども愛妻家。メランダーは記憶力抜群で物静かで悪筆で、ラーソンは尊大な毒舌家だが意欲的。ルンはのんびりしているが粘り強く、実はラーソンと仲が良い。なんだか白雪姫の七人の小人みたいな、あだ名がついていそうな刑事たちだ。しかしこの童話のような安定はそこに安逸することではなくて、その安定した視線で事件を捜査するために用いられている。
http://ikazuravosatz.tumblr.com/post/173666184758/考えたことがあるかねこの町の人間たちはみんなびくびくしているふつうの善良な市民が道を聞いたり
この都市の中の個人というのは訳者のあとがきが詳しいけれど、とても現代的な視点で、そのままTOKYO論にもなりそうだし(一般的な)現代都市論にもなりそうである。まさに現代を先取りしているが、ところでそういう文明批評ができるのが安定したキャラクターを演ずる市民ということもあるが話がくどくなってきた。
それで、ひとつめの引用はこの作品の中でも特に良い=気の利いた夫婦の会話なのだけれど、この作品には後続作品と比べて食事の場面が少ない。ほとんどないといっていい。酒の場面も。
この都市の中の個人というのは訳者のあとがきが詳しいけれど、とても現代的な視点で、そのままTOKYO論にもなりそうだし(一般的な)現代都市論にもなりそうである。まさに現代を先取りしているが、ところでそういう文明批評ができるのが安定したキャラクターを演ずる市民ということもあるが話がくどくなってきた。
それで、ひとつめの引用はこの作品の中でも特に良い=気の利いた夫婦の会話なのだけれど、この作品には後続作品と比べて食事の場面が少ない。ほとんどないといっていい。酒の場面も。
シューヴァル/ヴァールーはリアリズムの手法で書いた。当時はやりのジェームズ・ボンド的華やかさやスマートさとは正反対の、地道に働く警察官たちを真ん中に据えた。スウェーデンではそれまで警察官の日常から事件捜査を描くアプローチはまったくなかったと言っていい。これがその後の北欧犯罪小説、ひいては世界の犯罪小説の形に大きな影響を与えた(訳者あとがきより)と訳者は書くのだが、食べ物について後続の骨っぽい探偵小説に影響を与えたのは、同じ時代に書かれたジェイムズ・ボンドを描いたイアン・フレミングである。
小説作法の本はいろいろあるけれど、なかで一風変つてゐるのはイアン・フレミングの『スリラー小説作法』(井上一夫訳・早川書房刊『007号/ベルリン脱出』所収)である。彼は登場人物に何を食べさせるかが大事だ、と力説してゐた。こんなことを強調した小説作法はほかにありません。わたしはひどくびつくりして……それから感心した(丸谷才一「小説作法」『好きな背広』所収).
例えば骨っぽく地道な調査が描かれるマイクル・シアーズ『ブラック・フライデー』でも、こんな食べ物が描かれる。一見対立的に見えるような先祖から、両方の美質を兼ね備えた作品が新たに生まれる。