2016年6月15日水曜日

丸谷才一「にぎやかな街で」(『にぎやかな街で』所収)

表題作は大江健三郎を思わせる題材の採り方で、最初に読んでからしばらくして誰の作品だったか忘れていた。しかし読み返してみると実に丸谷的作品で、というよりも根源的なものが含まれているような気がする。

 川本三郎も、
のちに『女ざかり』を書いた作家と同じ作品と思えないくらい、これは異様な小説です。若いころの丸谷さんは、こういう小説を書いていたのかと驚きます。これは今、なかなか手に入りにくくなっている本ですが、私は丸谷さんを語る時に欠かせない小説だと思います。
「昭和史における丸谷才一」, 菅野昭正編川本三郎・湯川豊・岡野弘彦・鹿島茂・関容子著『書物の達人丸谷才一』所収.
と述べている。

舞台は戦争末期の広島と十年後、二十年後の広島。二人の男が出てくる。一人は在日朝鮮人で子どもを戦後の混乱期に亡くした主人公、高(通名高井)。もう一人は戦争直後に出会った野村。

丸谷作品らしく死の影が色濃い。野村は諍いから妻を殺していた。しかし原爆投下の混乱で彼は罰せられない。

http://ikazuravosatz.tumblr.com/post/145901230468/彼はちょっと考えてから-やはり楽な気持になりたいから-そしてすこし間をおいて

罰によって社会に受け容れられたいと願う野村と、戦争によって国家そのものを相対化し、周縁化されている高。

高は「しあわせな男だ」と野村に羨まれ、帰り道につぶやく。かつて息子を亡くした日に、<神信心のほうも駄目>だった男はせめて神がこの苦しみを見ていてくれればいいのにと願う。あるいはそう信じられればいいのにと願う。

この見棄てる国家・見棄てる神、あるいは国家の不在・神の不在というのは長く丸谷才一のテーマとなった。
にぎやかな街で


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