2016年3月23日水曜日

『トガニ 幼き瞳の告発』(2011)

韓国犯罪映画ウィーク!ということで、ウィークの割には更新遅いんだけれど。






トガニ 幼き瞳の告発 - 作品 - Yahoo!映画

カン・イノ(コン・ユ)は大学時代の恩師の紹介で、ソウルから郊外のムジンという町の聴覚障害者学校に美術教師として赴任する。着任早々彼は校長の弟の行政室長(チャン・ガン)に、教職を得た見返りとして大金を要求される。最初から学内の重苦しい雰囲気を奇妙に感じていたイノは、ある晩、帰宅しようとして子どもの悲鳴を聞きつける。
これも実際に起きた事件をベースにしているそうで、正直気が滅入る題材だ。

韓国映画、特にこういう事件物だと都市から地方にやってきた者への警戒感というのがしばしば描かれる。それは日本にも「都会もん」「田舎もん」というようなのとしてあるのだろうけれど、しかしそれがここまで幾度も描かれるという感じはしない。

去年親戚のうちで会った、いとこの友人の韓国人の男の子やら女の子(キュートであった……) によると、韓国に関するニュースなんかでよく耳にする「ソウル近郊」というのは実はものすごく広い地域を指しているそうで、よその人に「どこ出身?」っていわれて面倒くさかったらソウル近郊と答える、それくらいだそうである。

いわば大きな都市が一極としてあり、あとは田舎がある。そういう観念。そこに、ある種「地方(田舎)の因習」めいたものが描かれる素地がある。都市性の犯罪よりも地方性の犯罪というのが韓国映画で描かれることが多いように思う。

この「因習」というのはこの映画では冒頭の賄賂の要求を指し、また子どもへの虐待に向かい、さらに司法の場では「前官礼遇」(幹部級の検事が弁護士に転職した際(いわゆる「ヤメ検」)、初めて担当する弁護事件で勝たせてやる慣習)ということにつながる。

近いうちにエントリに上げる『殺人の追憶』以降、実際の犯罪を描いた作品が、もちろんヒットしたことも影響して量産されるようになって、韓国映画界はこの手の社会問題を取り上げる意欲が旺盛だ。考えてみるとこういう事件は日本にでもある。そういう時に、韓国は都会から田舎への視点を採用して「因習」をキーにして捉えた。日本ではどう作るだろうか。

いろいろと考えさせられるし(禍々しいけれど)おもしろい映画だった。かなりお薦めであります。



  • 法廷で検察(=被害者の味方)に握りつぶされた秘密の証拠が、冒頭の映像の答えになっていて、これは実に映画的で良かった。裁判での双子の判別、これもこの映画でしかできない方法。



  • 韓国映画を見ていると韓国のキリスト教というのを勉強しなきゃならないなと思う。


2016年3月2日水曜日

『殺人の疑惑』(2013)

韓国の犯罪映画というのはここ十数年流行といっていいくらいの兆しを見せているようで、特に冷酷で社会的影響を呼んだ事件をモデルにし、あるいはそれから影響を受けた作品が相次いで公開された。

そういうわけで韓国犯罪映画ウィーク!と称して、実際には毎日でもないし一週間でもないけれど何本か続けて見た(「帰ってきた韓国犯罪映画ウィーク」「韓国犯罪映画ウィーク春の特別篇」などという形で)。

たくさんネタ・バレもするだろうがそこは映画に詳しくないしブロガーでもないし、業界のしきたりにしばられずに気にしないでやっていこう。

ひとまずこれ。





殺人の疑惑 - 作品 - Yahoo!映画

この日は「なんか美女が出ていて人殺しを扱う映画はないかな」ということで、このジャケット?というのか何なのか、これに惹かれて見た。

親一人子一人で暮らす仲の良い父娘、しかし娘は父親が実は時効間近の未解決事件「イ・ヒョンホ君誘拐殺害事件」の犯人ではないか……?と疑い始める。



サスペンスの手法としてはあんまり上手じゃない感じで、いちいちこちら(観客)とあちら(作者)のテンポがずれる感じだし、音楽はやたらと鳴りっぱなしで日本の下手なドラマを見ているようだしということでちょっといらいらさせられた。

一コマも長回しっていうんですかね、ああいうのを意識したのではなく(それはそれで厭らしいのも多いけど)、冗長という印象を抱かせる。

さらに、美女を見たがってこんなことを言うのは何だけれど、娘が妙にセクシーな恰好でうろうろしているし、父親とのスキンシップの過剰な親密さははっきりいって異様である。こんなに娘とでれでれしている父親、こいつは殺人事件の犯人かどうかはともかく怪しいことは確かだ。

しかし親密な愛情を抱いている相手が実は恐ろしい人間なのではないかという疑いは、ある種普遍性に通じるものがあって、少し形は違うけれど「貰われっ子妄想」なんかもそういうところがある。

そういう疑念は生まれたり消えたり、いわば寄せては返す波のようにいくども綾をなしていくもので、特にこんなに恐ろしい思いつきであったら「犯人では?」という疑う気持ちと「いやそんなはずはない」という打ち消す気持ち、これがきつい味になってこちらをひりひりさせる、させてくれなきゃ困るところだがどうもその宙ぶらりんのぶらぶら感が足りない。

イ・ヒョンホ君殺害事件についても韓国社会としては常識の範囲内なのかもしれないが、映画としてはもう少しだけ説明があっても良かった。

ラストの二番底としての種明かしは良い。