2015年12月8日火曜日

俳優

ドラマを見ていて、井上ひさしの皮肉な定義についての筒井康隆の解説を思い起こすことが多い。


http://ikazuravosatz.tumblr.com/post/134776099303/演劇事情に詳しい井上ひさしなど人間には三種類ある男性と女性とそして役者だと言ってためらわな

好きでもない人とキスをしたり、怒鳴られたり、首を絞められたり。

本当には殺さない、本当にはセックスしないということだろうけれど、でもこの場合の「本当には」の境界、「俳優にすら超させない」境界というのは何なのだろう。「本当にキスをする」、「本当に怒鳴る」、「本当に首を絞める」わけではある。

希望して俳優になる。その時にこの「非人間的労働環境」について同意をしたと見做されるのだろうか。そうであるとしれば人権が及ばない、少なくとも十全には実現できないのが俳優業という領域である。

それは報酬で補償されている?そうだろうか。

そして自然に、非人間的労働・非人権的環境というのが確かに他にもあって、それが一般に「希望」や「補償」によって、他者から「そういう仕事だから」と見做されている。


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