2015年12月8日火曜日

俳優

ドラマを見ていて、井上ひさしの皮肉な定義についての筒井康隆の解説を思い起こすことが多い。


http://ikazuravosatz.tumblr.com/post/134776099303/演劇事情に詳しい井上ひさしなど人間には三種類ある男性と女性とそして役者だと言ってためらわな

好きでもない人とキスをしたり、怒鳴られたり、首を絞められたり。

本当には殺さない、本当にはセックスしないということだろうけれど、でもこの場合の「本当には」の境界、「俳優にすら超させない」境界というのは何なのだろう。「本当にキスをする」、「本当に怒鳴る」、「本当に首を絞める」わけではある。

希望して俳優になる。その時にこの「非人間的労働環境」について同意をしたと見做されるのだろうか。そうであるとしれば人権が及ばない、少なくとも十全には実現できないのが俳優業という領域である。

それは報酬で補償されている?そうだろうか。

そして自然に、非人間的労働・非人権的環境というのが確かに他にもあって、それが一般に「希望」や「補償」によって、他者から「そういう仕事だから」と見做されている。


2015年11月5日木曜日

ずいぶん前の話だけれども『黒く濁る村』を見た。
監督: カン・ウソク
原作: ユン・テホ
脚本: チョン・ジウ
撮影: キム・ソンボク
音楽: チョ・ヨンウク
出演: パク・ヘイル ユ・ヘグク
チョン・ジェヨン 村長(チョン・ヨンドク刑事)
ユ・ジュンサン パク・ミヌク検事
ユソン イ・ヨンジ
ユ・ヘジン キム・ドクチョン
キム・サンホ チョン・ソンマン
キム・ジュンベ ハ・ソンギュ
ホ・ジュノ ユ・モクヒョン
http://www.allcinema.net/prog/show_c.php?num_c=337979


冒頭から題字まで、この作品も実に良い。『甘い人生』もそうだったけれど、韓国のエンタメ作品は「最初に
一気に引き込む」という勘所がわかっている。偉い。褒めちゃう。

宗教的カリスマと、彼を利用する者たちによって組織される村。「公共財」化される女。ここで、村は高度に機能化されている。

その必然的結果としてか、例えば家族とか仕事とかいったものはほとんど描かれない。奇妙なほどに村人たちも対立する主人公も「目的」の下に動いている。それはこの映画にとって「図式的」という弱みにもなっているし、一方で不気味さという点で貢献もしている。

機能や目的から解放された(初めて子どもや家族の姿が描かれる)ラストは、しかし意味深。

おもしろいけれども、そのあたりは物足りないといえば物足りないか。


それにしてもユソンちゃんは美しく、パク・ヘイル君はかわいらしい。


2015年10月28日水曜日

唐突だが、映画『甘い人生』(2005)を見た。
監督: キム・ジウン
プロデューサー: オ・ジョンワン
イ・ユジン
脚本: キム・ジウン
撮影: キム・ジヨン
音楽: ピーチ・プレゼンツ
出演: イ・ビョンホン ソヌ
シン・ミナ ヒス
キム・ヨンチョル カン社長
キム・レハ ムンスク
ファン・ジョンミン パク社長
エリック デグ
チン・グ ミング
オ・ダルス ミョング
キム・ヘゴン テウン
チョン・ユミ

 


序盤、題字までのスタイリッシュで完結な描写は見事で、冒頭高級レストランでデザートの味見をするイ・ビョンホン、そこからスタッフに呼ばれて悪漢をぶちのめすイ・ビョンホン、ボスに呼ばれて畑違いの仕事を頼まれるイ・ビョンホン、すべて素晴らしい。

 その後は、しかしどんどん減速してゆく。 何より「なぜそのボスにそこまで忠誠を誓うのか」がわからないのが一番の原因だ。この疑問のせいで、制作側のテンションとこちらのそれとの乖離が広がっていく。そういう感じがある。

 けれども、イ・ビョンホンというのは素晴らしくて、ぱっと見ると何かが足りない感じの、しかし見まごうことなきイケメンだ。でも何か足りない。無表情っぽい。 その欠落としての無表情を、演技で補完する。あるいは増幅する。 おちゃめなイ・ビョンホンは欠落を補完し、激情に駆られたイ・ビョンホンは欠落を増幅する。  本当に良くて、他にいないタイプだね。